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魂と現実 ブログトップ
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前兆の風 [魂と現実]

人って、子供の頃から、ずっとどこかにある「自分」に出会う旅を続けている。
それは、はたから見ると「適応」している、状態に見えるときでも、なんか違うという思いが片隅に、でも濃くある。

でもその何かは、真剣に向き合うと、現実が苦しくなるので、何とか正当化したがる、でもすればするほど、濃くなる。

「今、恵まれている」「人に感謝しなければ」と一生懸命今を肯定しようとする。でも、その繰り返しの苦しさから学ぶのは、実は簡単である。「なんか違う」を受けいれさえできればいい。
受け入れれば、心と身体は安心して、徐々に「なんかいい」方向に向き始める。
身体は、イメージとして表面的な感情ではなく、真意に反応している。

行きたいと口で言っても行きたくないと、どこか流れがおかしくなる。

とても影響を受けた本にパウロ-コエーリョの「アルケミスト」がある、いつも主人公は、人生に前兆を感じる、それも風の力、自然界からくる、人の人生の魂を中心とした合理性の風、水も土も好きだけれど、やはり風は特別な感じがある。昔ソビエトの映画で「貴族の巣」、内容も全く覚えていないけれど、画面だけは記憶があり、風が美しい風景を象徴していた。
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一人では生きられない [魂と現実]

IMG_0545.JPG人は一人では生きられないと、あらためてすごく思う。
人っていつもいつも元気なわけではない。

そんなとき、ご縁のある方が自分を丸ごと表現する対象に出会って、磨き、尚人が見て美しく、癒される世界を創りだしている姿は、心から感動と勇気をもらえる。

「あれもこれもの幸せ」と言うと我儘と言われ、封印しがちだ。でも深い想いを大事にし、時にはリスクもあり、模索し続けてきた人のその時々の一つ一つの言葉がとても懐かしく思い出される。

春は、ピンク色からあっという間に緑に変わった、どの瞬間も綺麗・・・。

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質の変化が進化 [魂と現実]

質の変化

初めての体験や、行ったことのない場所に行きたいのは、生活を通しての人生の質への変化への願望だと思う。
それが、一番難しくて、でも同時に、特に後半の人生の希望なのだと思う。
何より、質への変化への願望は、周囲にも思いが及ぶ、
自分が変化しても周囲がそのままだと、ストレスが高まる。
自分が変化すれば、周囲もその変化に感応して、対応が変化してほしい、と思ってしまう。

希望と言うのは、結局この自分の変化への願望だと思う。
自身の変化は、「見える可」の方法でしか、家族にも伝わらない。

後半の人生は、質に対する自覚と行動力がないと、多分あっという間に過ぎ去る。
変化や変化への願望は他人に見えるビジュアル的な力を意識することが必要になる。
長い時間と労力と多少の費用を何に投資していくのかが、具体的には大事になる。IMG_0517.JPG
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皆既月食 [魂と現実]

D6120145- (600x800).jpgBE930D26- (600x800).jpgIMG_2662.jpg自分の感覚に合う言葉やイメージを探すのって、大変、既成のそれに合わせた方が、ラク。だけれども、だんだん、今の自分に合わない服みたいに小さな違和感が出てくる。

違うのに無理に合わせると、かなり自信をなくしていく。
自分の生き方を通じて、変化もする言葉やイメージを探し続ける(創り続ける)のが、言われているところの「みずがめ座」の時代。

一人では、表現に発展がないので、自分と合う感覚の人たちと自在にこだわらず生活を通して表現する・・・。元気に長生きをしてもっと世界を見たい。

*写真:1月31日の月食前の月と月食始まりの月、「モナリザ」での小谷野さん、市川さんとの楽しい食事会


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「波」の訪れ [魂と現実]

心臓は人体を四分割すると足元から四分の三の位置にある、それによって、上にある頭に上昇する血液を送る力と下方への引力の力を得ての流れとのバランスが初めて取れる、もし人体の二分の一の位置にあれば、生きていけない。

波は、月の引力や風の影響で一分間に18回ほど動いているそうだ。そんな大自然、宇宙のしくみがあるから人は生きていられる。同時にそれは何かを生みだすことを促している気がする。

一応安定した生活をしていても、どこか深いところから、この「波」がやってくる。目先の人の理屈からだけ考えると、無視せざるおえない「波」だ。

でも目に見えない大自然からの「波」が人体に訪れている力なので、無視すればするほど苦しくなる。何かを自分で生みだしたいという抑えきれない高揚した気分になる。

生みだしたものは、自分にとっては、絶対なので、どうこう人に言われても徐々に全く気にならなくなる。そうすると人の創ったものにも、ああだこうだという反発が消える。嫌いだとしても、人が生み育てたものだと思うと、自然に謙虚になる。自分にとっていいところを吸収すればいいだけだ。


「波」の声を聴くのは、普通の生活にとっては危険と接触しているが、高齢化社会と言うのは、声を聴き、あらたに生命力を自分に再生する時間を与えられているのではないか。

先日、アートセラピスト養成講座で学んで頂いている小谷野さんと市川さんと三人で下田に旅行に行きました、それぞれの抱いている記憶や体験はもちろん様々ですが、アートセラピーと言う共通項を持って、ご一緒できたことが、何よりの幸せな時間でした、次回を今から楽しみにしています。
*下田プリンスにて
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ヨガタイム
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心の座標は、どこに? [魂と現実]

「新しい言葉の持つ力」って言うのがある。自分にとっての、その一つがスピ系で出てくる「ワンダラー」だ。多分、自分もそうだと、思う人は、結構いると思う。

特別、生活のなかで、これが不満とは言えないのに、心が落ち着かない、何となく居場所が、なく、そこそこ適応する能力はあるのだが。その落ち着かない感じを既存の言葉で説明しても、やはり?な気分になる。日本語はもちろん好きだが、この感じを表す言葉が見当たらない、孤独でもなく、放浪でもなく、それらだとなんだか意味が矮小化され特定されてしまう。

もう多分何十年前になるだろう、この言葉に出会った。この言葉に当てはめると、いろんなことが、気分や感情が無理なく繋がっていった。日本的には、あえて言えば「風が吹けば桶屋がもうかる」的もあるような、いろんなことが、地球の枠を超えて、繋がっている感じがピッタリくる。別に自分が特別と言う意味ではなく、現実の価値観に違和感があり、そして、尚その違和感を無視や否定するのではなく、そこからさらに自分に気づいていくきっかけになる。ただの石が、磨けばダイヤモンド的な、枠を広げる言葉との出会いによって、困難が、進化の元に思えてくる。

ただ、良くも悪くも、その感覚が全くない人との会話が、・・う、になってくる"(-""-)"
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快感の種類 [魂と現実]

快感、快適というのは、やはり生活のなかで、一番エライポジションにある気がする、
美味しいものを食べたとき、温泉に入ったとき、買い物をしたとき、などなど、
どっとそれに依存と言うわけではないけれど、どれもささやかでも少しづつ日常化している。

それと、会社員だと上司に褒められた時などなど。

前半は、結局お金がかかるし、上司からのそれは、それで大変である。
自分の快感にお金がやたらかかることが、今の時代の「癖」な感じ。だからお金に人が使われていく感も出てくる。

自分で言えば、安上がりと言うかちょっとした山里の風景や本を読んで、かなりハイテンションになれる。その後でのコーヒーもすごく美味しく感じる。目の上の夕焼けを見ず、スマホで他地域のそれを見ている人もいるだろう、もっと身近な日常に深く関わることが、今はとても快感。貯金が快感と言う人もいる。
各自の快感追及の結果、環境破壊、等々、世界がバランスを失っている感じ・・・。
人の精神的進化の研究と自分の現実の一体化の作業が最高に楽しい。

先日上野駅で見たポスター。普通の生活に当たり前として、特別気づくこともない様々な美意識があるかどうかって言うことだと思う。
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 [魂と現実]

弥勒菩薩像や遺跡にある女神像など、当たり前だけれど、石でできている。
見る方は、だから安心してじっと眺めることができる。

安心するものは、あまり動かないものだとも言える。言い換えれば、始終動いているものは、心が休まらない、動物でも、神秘的なテーマになる蛇は、見るからにはあまり動かない。

身体はあまり動かない分、内面はとても飛翔しているかもしれない。かすかな風や何かに、大地の動きを察知しているかもと思ったりする。

ノンフィクションのナレーションで、「「遺跡」は、長い長い歴史を知っている証人」とかいうのがあるけれど、例えではなく、本当に「知って」いる・・・。

遺跡は戦○で、壊す対象になりがちなのも、その歴史からはずされたと思う人にとっては、壊したくなるのかもしれない。

いつも、いくつになっても感情が激しくアップダウンする人は、他人が安心できない人、ということになるのだろう。
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ちょっといけばある風景

悪口は古い習慣 [魂と現実]

いろんなことが、ますます形がはっきりしてくる時代になった。

一番、大事なことは、自分自身の内面のことだと思う。

分かりやすいことでは、人の悪口は言って得しない。
本人に直接言うのは、言い方や時と場所を慎重にすれば必要なことが多い。
(職場はやはりかなり言わない方がいいですが)

陰での悪口は、それまでの相手の努力を全否定する事につながってしまう。
特に、その場では、にこにことして、離れたら悪口を言うのは、一番自身の心を暗くしていく。
相手が自分の思うように動くべきと思っていること自体が、大きくずれている。
かといって、出まかせのおべんちゃらも、自分に返ってくる。それまでの生き方から得た本人ならではの、バランス感覚が必要だと思う。

悪口を言っている人から人が離れていくのは、そのパワーの使い道が間違っていることを、
本能的に感じるからだと思う。悪口が多い人は、友達が多くても内心受け身的で寂しい人が多い。ただ、悪口を言うことで、自分に気づき成長していくこともあるけれど、妙に時間の流れが速くなり、成長の前に、人が離れていく。


*写真 「大宮市場」に置いてある赤タイのオブジェ、とても好きで、「友達」だと思っています。できればあと小さめのが二つあれば、場が落ち着くんだけれど。
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池の外 [魂と現実]

IMG_0076.jpg近くはない公園に、小さな池のような場所がある。
そこにフナ(多分)が数匹いることに気がついた。次第に周囲から木の葉が沢山落ちて水面が塞がれていたり、水の流れがあるようには思えず、汚れが気になっていた。

ある日、オジサンが、熊手のようなもので木の葉を取っていたので、フナのことを聞くと、「水が汚れ過ぎて多分もうフナは・・・だろう」、と話してくれた。「水がきれいになれば、誰かがフナをまた持って来るかもしれない、もともと誰かが持ってきたフナだから」と言うことだった。

元々いないものを、人が持ってきたその場所は、自然には、水が浄化されないので、生き続けるのは難しいのだろう。
フナが「人」と言う自分たちより力のある「生き物」を知っているのだろうか。
人によって木の葉がいつも掃除され、水が足され酸欠が改善された時、何かの大いなる偶然だと思うのだろうか。「人」を認識できていなければ、多分そう思うのではないだろうか。

自分の幸不幸に、人がどこまで、視野を広げ自浄努力をするのか、と言うことを考えたりする。幸不幸には、関与できず、関与する智慧もなく、大いなる偶然のみでラッキーやアンラッキーと思ったりするのだろうか。

「万物の霊長」と言われている人であれば、例えば自分を覆う落ち葉に気づき、閉塞した人間関係からその理由を探り、少しでも改善することができる存在であり、池を囲む他の世界を想定できる存在だと思いたい。

ポチャポチャと音をたてながら葉を拾い上げているそのオジサンを、フナは「カミ」だと思うかも知れない。

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