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池の外 [魂と現実]

IMG_0076.jpg近くはない公園に、小さな池のような場所がある。
そこにフナ(多分)が数匹いることに気がついた。次第に周囲から木の葉が沢山落ちて水面が塞がれていたり、水の流れがあるようには思えず、汚れが気になっていた。

ある日、オジサンが、熊手のようなもので木の葉を取っていたので、フナのことを聞くと、「水が汚れ過ぎて多分もうフナは・・・だろう」、と話してくれた。「水がきれいになれば、誰かがフナをまた持って来るかもしれない、もともと誰かが持ってきたフナだから」と言うことだった。

元々いないものを、人が持ってきたその場所は、自然には、水が浄化されないので、生き続けるのは難しいのだろう。
フナが「人」と言う自分たちより力のある「生き物」を知っているのだろうか。
人によって木の葉がいつも掃除され、水が足され酸欠が改善された時、何かの大いなる偶然だと思うのだろうか。「人」を認識できていなければ、多分そう思うのではないだろうか。

自分の幸不幸に、人がどこまで、視野を広げ自浄努力をするのか、と言うことを考えたりする。幸不幸には、関与できず、関与する智慧もなく、大いなる偶然のみでラッキーやアンラッキーと思ったりするのだろうか。

「万物の霊長」と言われている人であれば、例えば自分を覆う落ち葉に気づき、閉塞した人間関係からその理由を探り、少しでも改善することができる存在であり、池を囲む他の世界を想定できる存在だと思いたい。

ポチャポチャと音をたてながら葉を拾い上げているそのオジサンを、フナは「カミ」だと思うかも知れない。

なかなか大変でもあり面白くもあり [健康]

IMG_0055.jpg10年以上前に、病気の後遺症による障がいの方一名(以降Aさん・車いすは使っていない)と他3名の合計4名で東京から岡山、広島まで旅行に行ったことがある。障がい者になると、行動範囲が狭くなるので、数年に一回でも遠出することが大事になる。今いる場所感覚に、遠い初めての場所の空間を+することで、「今」の場がはっきりと認識されやすくなる。健常者も同じですが。

新幹線も一苦労で、出入り口のドアに近い席でないと、下車するときに大変になる。動いている時に歩くのは障がい者にとっては、無理であり、ちゃんと降りられるかどうかは、かなり本人には不安である。その他トイレの場所が近いことなどを聞いてチケットを先に購入する。

そして駅に到着してから先が、大変になる。急に雨が降れば小さな駅では、駅前にお店が無いことが多い。健常者が3名いたけれど、それでも、パタパタすることが多かった。傘をさす人、在来線の発車時刻を確認する人、トイレが使いやすいかどうかを見に行く人など、それぞれがやることがある。健常者なら、改札口から数分もあれば、ホームに行けるが、障がい者は、かなり時間がかかり、いっそ次の電車にしたほうがいいかなど、悩むことも沢山出てくる。もっとシンプルな旅行企画もできるだろうが、それだと面白くない。

目的地に着いてからの小さな問題も山積で、こんなことを考えていると、仕事もそうかなと思う。分かりやすい問題は、誰しも浮かぶが、実際に動くと、一見どうでもいいようなことが実は、物事の成否に関わってくる。人気のあるレストランに車で行くとき、駐車場が少ないと、連れて行ってくれる人には、結構な負担になる。そう言うことへの、目に見えにくい配慮と言うのが、ビジネスの場では、考慮されているのかどうか。真面目で優しい人が、そういう目に見えない小さな、でも大きなことを引き受けることになっているのだろうか。


最初の旅行の話に戻れば、大事なことは、Aさんの思いをただひたすら聞くことでした(ご本人がそう思ってくれたかどうかは?ですが)。一見我儘に見えることでも、本人が本人であるために、自力でできないことへのストレスを周囲が軽減することで、楽しい旅行に近づく。サポート側も何かと不満はもちながらも、とにかくは本人の快適を心がけると、夕食が美味しくなる。
後で、不満が怒涛のようになりがちがメンバーだけとは同行しない方が無難だ。日頃からの信頼度で快適度が違う。一応の目的地は、岡山の吉備津神社と広島の厳島神社でした。
他の三人も三者三様にわがままを言える人だったので、自分だけコーヒータイム(全体には支障のない範囲)とか、結構隙間をぬって遊んでいました。

*写真 ずっと気に入っている赤鳥キャラ。車に乗っているとなかなかうまく撮れず。